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『FRÉWAKA/フレワカ』
キーワード解説

ストローボーイ
映画の冒頭に登場する、一種異様な藁仮面の男たちは、アイルランドの農村に実在した土着習俗「ストローボーイ」に由来する。かつてのアイルランド農村では、祝いの儀式として、このストローボーイたち(=招かれざる客)が結婚式に押しかけて踊る風習があり、1970年代頃まで続いていたという。
監督のクラークは「なぜそんな風習が生まれたのか、本来の意味は私たちにもわからない。ただ、藁仮面の男たちが結婚式に押しかける儀式の形だけが残っている」と語る。作中では、祝祭でありながら、どこか暴力性や排他性を感じさせるストローボーイたちの姿が描かれる。
ケルト神話
現在のヨーロッパ西端の島々や半島の地域にかつて存在した、古代ケルト文化。様々な神が存在するその神話には体系的な聖典がなく、物語は口承で現代に伝わってきた。後世に伝来したキリスト教と結びつきながら形を変えてきたそれは、土着の信仰として今も形が残っている。
作中で語られる、目に見えない妖精<イース・シー>も、ケルト神話由来の超自然的存在だ。クラークによれば、「イース・シーは人間を憎んでいる。人間に不幸が訪れると喜ぶタイプの妖精」だという。映画の中では、農村部の風習であるストローボーイなどの姿とオーバーラップする形で、終始その気配が示されている。
ヤギ
ヤギは、アイルランド文化の中で象徴的に登場する生き物のひとつ。例えばケルト神話に出てくる<ケルヌンノス(Cernunnos)>は、ヤギの角を持つ狩猟神であり冥府神である。また、現地で300年以上の古い歴史がある伝統行事<パック・フェア(Puck Fair)>は、雄ヤギを街の王として祭り上げる祭だ。
それらの文化的背景を纏って本編に現れるヤギの姿について、クラークは「アイルランドではこれまでの歴史の中で、古代の狼や鹿などが生きていた森林の多くが失われた。しかしヤギは今も野生で生きている動物として、特別な存在。いわば古代ケルトの世界と現代のアイルランドをつなぐ象徴である」と語る。
妖精の木
老婆ペグの家の前には、大きな「妖精の木」が生えていて、人間を憎む妖精たちの姿が息づく。実際にアイルランド現地には、その名が付いた木がいくつも存在し、「妖精の木を切った者には災いがふりかかる」という言い伝えが残っている。特に「夜に眠ることができない体になる」といった、何かしらの身体的代償を払うことになる逸話が伝わっているため、アイルランドの人々は絶対に「妖精の木」を切らない。クラークも「迷信は信じていないが、妖精の木を切るかと言われたら切らない。それがアイルランド人」とコメントしている。
アイルランドの女性に引き継がれるトラウマ
アイルランドという国を形作るアイルランド共和国憲法には、保守的なカトリックの社会観が反映されている。特に「女性の居場所は家庭である」と明言されていることが象徴的で、歴史的に見てもアイルランドの法律における女性の扱いは良いものではなかった。他の国々では当然とされていた多くの女性の権利が認められるようになったのは、ごく最近のこと。
例えば夫が妻をレイプすることは1990年まで合法であったり、その上で中絶は2018年まで違法だった。1977年までは既婚女性が職を持ち続けることは許されず、1991年までは女性が避妊具を自由に購入することもできなかった。クラークは作中で、そんなアイルランドの歴史の中で女性たちが抱えてきたトラウマの記憶を、いくつかのモチーフによって表現した。
蹄鉄が掲げられた赤い扉
ケルト神話で、鉄は悪霊を遠ざける物質とされる。アイルランドでは結婚祝いに蹄鉄(ホース・シュー)を贈る風習もあるというが、クラークはそれに守りと封じの二面性があることを見逃さない。映画は、本来幸福の護符である蹄鉄が掲げられた扉の内側で、女性たちが愛と支配の狭間に閉じ込められてきた歴史を示唆している。
クラークは「家庭は、多くのアイルランド人女性にとって不当な行為や苦痛の温床で、女性に対する暴力のほとんどが起こる場所でもあった。私はそれを、人を無気力にさせる空間として表現したかった」と語る。
マグダレン洗濯所
アイルランドの厳格なカトリック観の下で、非行少女や未婚の母などを強制収容する施設として実在した「マグダレン洗濯所」。そこでは、罪を洗い流すことを名目に、収容女性に対する過酷な労働の強制や虐待が行われていた事実があり、アイルランドの歴史に暗い影を落とす。
映画の冒頭、50年前の婚礼の日、花嫁のペグは婚姻前に妊娠していたことが発覚したため“ヤツら”に連れ去られ、「マグダレン洗濯所」に収容されたことが示唆される。そこでペグが産んだ娘が、のちにシューの母親となった。ペグの夫は、生まれた娘を“ヤツら”に差し出す取引をして妻のペグを取り戻したが、のちに自殺。そしてペグは、老婆になった今も、赤い扉の向こうに潜む“ヤツら”の影を恐れて暮らしている。
ペグの家の地下
クラークは、「現代のアイルランドで私たちは精神的な問題や、薬物依存、アルコール依存、そして驚くべき自殺率に直面している。アイルランドという国は、過去の歴史の暗部にきちんと向き合わないまま進んでいる。それゆえ、トラウマを抱えた親から子どもたちへとその記憶が受け継がれ、その子たちもトラウマを抱え始める」と語る。
映画の終盤でシューは、蹄鉄が掲げられた赤い扉の中に入り、“ヤツら”が潜む地下室を進んでいく。その奥には、古代ケルトの世界が広がっていた。古代と現代をつなぐ象徴であるヤギの王と対峙するシュー。彼女は、ペグや母が抱えてきた歴史のトラウマを継承する新たな花嫁となるのだった。
続くラストでは、シューのパートナーであるミラが妊娠中のお腹を抱えながら、「シューを返して 何でもあげるから」と赤い扉の前で泣き崩れる。半世紀前、ダヒが妻のペグを取り戻すため、自分たちの娘を“ヤツら”に差し出す取り引きをした時のように……。
サブカルライター 杉浦みな子